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麻でシンプルな普段着を作っています。
by sputnik_chronicle
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やっと自宅から
やっと自宅のPCで更新することができるようになりました。
先週末に退院して自宅に戻ってきたのですが、約一か月ぶりに開いたパソコンは。。。。
今までに見た事もない数の迷惑メール。。。
一応サーバーの方でブロックしてくれているらしいのですが、すり抜けたものすごい数のメールが溜まってしまいました。
しかも、PCの動きがおかしくて遅い。
およそ1000件のメールをアドレスと件名で確認しながら削除する作業がやっと終わりました。

入院中にいろんな方からメールをいただいたようで、大切に読ませていただきました。
ご心配おかけして申し訳ありません。
迷惑メールの中に紛れていたものもあり、もしかしてすべて読めていないかもしれません。
確認できたメールには近いうちにお返事させていただきます。

体調の方は順調なのかそうでないのか、自分でもよく判断できません。
何しろ頚管縫縮術をしたのが初めてなので。。。
ただいま29週の妊娠8ヶ月。
妊娠前に比べてすでに8キロ弱も体重増加しています。
行動の制限もあり体を動かすことができないため、これからさらに注意しないとなりません。
薬は相変わらずウテメリンという張り止めを飲んでます。






もし誰かのお役に立てるなら。。。と思い記録に残します。

今回の私の入院と手術は全くの想定外で突然始まりました。
妊娠23週頃の妊婦健診で子宮頸管が短いと初めて言われました。
一ヶ月前に比べて短くなってきていると。。。
一ヶ月前で37mm、23週で28mm。
「早産してしまう可能性もあるので大きな病院に紹介状書くから、今日が駄目でも明日には受診して」と先生に言われました。
私が通っていた病院は分娩施設がない産婦人科で、分娩は助産院にお願いしようと思っていました。
本来ならその日は助産院宛に紹介状を書いてもらう予定だったのです。
それが一転、総合病院宛ての紹介状をもらう羽目に。

私は第一子の長男(現在4歳)を妊娠中、
引越しの準備をしていたらドバッと出血して切迫流産を診断の受けたことがあります。
けれど赤ちゃんには問題なく元気で、その後の経過も順調に臨月まで過ごせました。
中期はお腹の張りや痛みなどがなければお腹の上からの超音波だけの産院だったので、
特に自覚症状がなかった私は毎回腹部エコーと問診だけを受けてました。

後期に入ってから再び内診が始まった時は子宮口が少し開いていると言われ、
健診のたびに「開いてきてるね」と言われるだけで予定日一週間前まで順調に過ごしました。

予定日一週間前の健診の日は子宮口も4センチ開いてきていたので、「今日あたり生まれるかもよ」とのことで念のために入院。
その日は大雪だったので、陣痛や破水がおきた時間に合わないと大変。。。という病院の配慮でした。
私は入院と言われても「今日何もなければ明日には帰れるんだろう」くらいに思っていたし、
結局お産が始まるような気配は全くありませんでした。

翌朝内診してもらうと「昨日よりも開いてる(6センチ)から家には帰せない」と言われ、「産んじゃいましょう」と人工的に破水。
これが「今破水させましたから陣痛がくると思いますよ」と事後報告でした。
それから夫に「もう生まれるみたいなんだけど。。。」と電話して、
内診を受けたのが分娩室だったのでそのままそこで昼食。
夫が慌て病院に駆けつけたときにも私に変化はなく、もくもくと食事してました。
私自身に何も変化なく「本当に生まれんのかな」くらいに平然としてました。
それから徐々にお腹が痛くなってきて、壮絶な痛みの果てに息子誕生。
そりゃあもう夫と二人で号泣しながら感動しました。
分娩時間も破水から4時間50分と早め。

と、「超安産でしたよ」と今回の病院の先生にも伝えました。
私的に初産にしてはなんてスムーズなお産だったんだろうと思っていたのですが、
陣痛も破水もしてないのに子宮口が6センチも開いたことに驚かれました。
そしてその事は紹介状にもしっかり書かれ。。。

息子のお迎えもあったので翌日に紹介状を持って受診。
そこの先生にも同じ事(息子の時のこと)を話し、「だから体質じゃないですかね~」と聞きました。
お腹の張りも自覚症状があまりなく(どれくらいを張っているというのかわからなかったし)、
子宮頸管は確かに短いが前回予定日までもっていることから子宮頸管無力症とは判断しがたいと言われました。
とりあえず様子を見ましょうということになりましたが、とくに安静を指示された訳ではありませんでした。
しかも「お腹が張らなければ夫婦生活も大丈夫」と聞いてもない事を言われたので、そんなに重症なことではないんだなと。
とりあえず張りだけは注意しながらもオーダー制作、日々の買い物や送迎などは普通にしてました。

そして再び受診したところ、「また短くなってます。これは入院です。」と言われ。。。。。
なんと頸管長が14ミリにまで短くなっていたらしいです。
このときは手術するかどうかなんて話しではなくとにかく入院と言われてしまい、荷物を取りに帰るのもできればしないでと言われたくらいです。
でもでも、いきなり入院なんて言われても息子は保育園だし、私は仕事が途中だったので「お客様にとりあえず報告しなければ」と無理を言って一度荷物を取りに自宅に戻りました。
病院に戻るまでの一時間ほどはとても慌ただしく、
ただただパジャマや下着などを鞄に詰め込み家を出た記憶しかありません。

「わがままばっかり言ってると、ママのお腹が硬くなって入院しなくちゃいけなくなるよ」
と息子に言っていたのですが、本当に入院してしまう事を報告すると号泣されました。
「寂しいよ、ママと離れるの」「一緒にいたいよ~」と毎日メソメソしていました。
「ママかわいそうに。。。チックンして痛いでしょう」「病院は夜になると真っ暗で怖いでしょ?」ってすごく心配してもくれました。
私と夫は胸が張り裂けそうで、面会時間が終わるのが辛かったです。
帰り際は息子の泣き叫ぶ声が病棟に響くのです。私も夫も毎日涙しました。
車に乗っても病院が見えなくなるまで泣きながら手を振っている息子の事を夫が話してくれて、
電話できる日は毎日息子と話しました。

入院当日から24時間のウテメリン点滴が開始され、動悸と目眩と頭痛が3日ほど辛かったです。
食事も思いっきり不味くて、ベッドの上で食べても全く美味しくありません。
朝一から大盛りのご飯に味なしのおかず、具無しのお味噌汁。和食の日も必ず牛乳が付いてくる。。。。
薄味ばかりと思いきや、喉が焼けるほどしょっぱいハンバーグのソースがあったりとめちゃくちゃでした。
おかしな献立と味付けに加え、最初の頃は手が震えたり頭痛などの副作用でお腹が減りませんでした。
点滴の針を刺した血管も何日かすると腫れて赤くなるのでその度に差し替え。
下手な人にあたると刺し直した瞬間から痛いのです。。。
トイレに行くにも点滴台をガラガラと連れて歩くのです。
一心同体になっていたので、内服になって点滴が外れても手が点滴台を引っ張る動作をしてしまうほど。

手術を決心したのはこのままでは35週位までは退院できないという事と、
息子の事ややり残してきた仕事を思うと手術を選択するしかありませんでした。
ただ、手術にはリスクもあり、手術の影響で破水や早産もありうると。。。
でもその確率は低いことや先の見えない入院の方が不安だったので決めました。
始めから頚管無力症だとわかっていたら、もっと初期に手術するそうです。
頚管縫縮術も有効かどうかがはっきりしないらしく、縛っても早産する時はするということでした。
病院や先生によって診断がバラバラな難しい病気みたいです。(病気といっていいのかわかりませんが)

手術は下半身だけの腰椎麻酔でした。
裸で手術着に着替えてストレッチャーで手術室へ運ばれる時、ものすごく怖かったです。
エレベーターの前で夫と息子と別れ、ドラマで見るような無機質な手術室の扉の中へ入ると看護師さんから手術担当の人へバトンタッチ。
手術室の中にはこれまたたくさんの部屋があり、それぞれに手術中の赤いランプが付いたりしてました。
そして私の部屋?に入り麻酔です。
天井には宇宙船みたいなライト。まさにテレビで見るアレです。
事前の指導の通り背中を横向きに丸くして腰から注射。
そんなに痛くありませんでしたが、痛さのあとに腰にじんわりと染みる感覚がありました。
手術台に移動されて血圧計やら酸素のチューブやらいろいろとつけられました。
だんだんと足がしびれてきて、正座しすぎてジンジンとするような感覚です。
そのうちほとんど感覚がなくなり、アイスノンで麻酔が効いているかテストされました。

そして手術開始。

目の前はタオルで隠されているので手術の様子は見えません。
でも体は揺れるのです。ガンガンと。
痛さなどは全く感じなかたのですが、右足の裏にたまーに痺れを感じました。
誰か触ってんの?くらいの痺れです。
麻酔開始から20分くらいして手術がはじまり、手術自体は15分くらいで終わりました。
その間手術室の時計(麻酔や手術にかかっている時間がそれぞれ表示されていました)や天井を見たり、キャビネットのガラス越しにうっすら見える手術の様子をぼんやり眺めていました。
途中先生が何度かお腹の張りをチェックするのですが、私にはまったく感覚はありません。
でもそうとう張ってきてしまったようで、点滴がいきなり最高に強くされました。

手術が終わると私のベッドが運ばれてきてみんなで「よいしょっ」と移動。
そこで自分のパジャマに袖を通して手術室を出ると再び看護師にバトンタッチ。

無事に病室にもどり家族と対面。



麻酔は夜になってようやく少しずつ取れてきました。
面白いもので、足を動かそうと思う意思はまったく伝わらないのです。
腰からしたが動かないので、腸も動きません。
だから翌日のお昼までは引き続き絶飲食。
もちろん歩けないのでトイレにも行けず管でつながれてました。

麻酔が取れた翌日には自分でトイレに行かせてもらえるもんだと思い込んでいたのですが、
絶対安静の為一週間ほどつながれたままでした。
これが一番の苦痛で、寝返りする度に違和感がありお腹が張ってしまうのです。
術後に強くされたウテメリンは4A30という最高値。それでも術後に張りが治まらずに違う点滴もプラスされました。
私の腕は点滴の針が2本に合計4種類の点滴が入ってました。

ちょうど連休があったので、その間は点滴の強さや量は変更されませんでした。
回診は平日だけなので、お休みの時は薬が減りません。。。
そのせいか一度は落ち着いた動悸と震え、頭痛が再発して氷枕が手放せなかったです。
絶食が解禁になりお腹が空いているはずなのに、病院食はほとんど食べれませんでした。
貧血にもなったようで、毎日鉄材の太い注射。
相変わらずベッドの上のみの生活で、つながれっぱなし。
何日かすると強い薬のせいでお腹の張りが怖いくらいになくなりました。
「全く張りません、怖いくらいに」って言ってるのに平日にならないと下げてくれません。
翌週になって張り止めの点滴がウテメリンだけに戻りましたが、相変らす最高濃度。
結局内服まで下がるのにかなりの期間がかかり(祝日が二回もあったので)、
内服になったとたん張り返しがあり点滴に逆戻り。。。

強い薬に体が慣れてしまったのでしょう。

大きい病院だけに回診は毎日違う先生。
同じ事を毎回言わなくてはいけないし、治療方針や点滴の強さの下げ方なども人により全然違うのです。
手術担当の先生は順調にいけば術後10日くらいで退院と言っていました。
ある看護師さんは術後早くても二週間~三週間と言っていました。
術後に歩いてトイレへ行くのは翌日からと言われて待ち遠しかったのですが、
回診にくる先生は「まだあと少し我慢だね」とハッキリしない。

その病院では月に1件くらいしか頸管縫縮術を受ける人がいないそうです。
切迫早産で入院している人は子宮頸管が短いというより、おなかの張りが頻繁すぎる為に入院している人ばかりでした。

今回の入院と手術が私とお腹の赤ちゃんにとって有効な事だったのかどうかはわかりません。
でも縛っているという安心感はあり、お腹の張りさえなければ大丈夫とのことです。
36、37週位まで順調に過ごせば抜糸になります。
そのあとは自然にお産が始まるのを待つだけ。

私の希望は自宅出産なので、抜糸するまではなんとしてもお腹にいてもらいたい。

来週は息子の運動会。
今年のクリスマス会は見に行けるかどうかわからないので、
頑張る息子の姿をしっかりと見てきたいと思います。


※もし同じような症状で悩んでいる方や不安を抱えている方の為に少しでも参考になれますように。



by sputnik_chronicle | 2008-10-09 16:51
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